天保9年(1838)刊行の「東都歳時記」8月15日の項に当時の祭礼の様子が記されています。

西ノ久保八幡宮 別當普門院
毎年神輿産子の町を渡し、 西久保大通りへ御旅所を儲けて十三日より御旅出あり。今日放生会をなす。町々より隔年踊りねりものを出す事、丑卯巳未酉亥の年なり。神輿渡御の道筋並びに産子の町名は後輯に詳にすべし。

注(平凡社東洋文庫より)
西ノ久保八幡宮 いま西久保八幡神社(港区芝西久保八幡町)。社地古跡拝領地一二五四坪。門前町屋あり。寛弘中、多田満仲の四男源頼信の勧請と伝える。本社は間口三間、奥行二間半、幣殿二間半に三間、拝殿五間半、二間半。秀忠の室、崇源院殿の願いにより関ヶ原の戦の祈祷を行い、寛永十一年宮社を建立したという。『江戸名所図会』中の挿絵に、旧観が伺える。境内に稲荷社、人丸社、鳥飼八幡などの末社があった。また土弓、水茶屋もあったが、文政六年風雨倒壊後消滅した。

別当普門院 八幡山養願寺普門院。天台宗、東叡山末。開基秀国。

御旅所 神谷町(港区芝神谷町)中ほど横町角に、十二日にしつらえる。

神輿渡御・・・・・ 渡御の町は普門院門前町、大養寺門前町、神谷町、葺手町、天徳寺門前町、車坂町、新下谷町、同朋町、青竜寺門前町、光円寺門前町、青松寺門前町、御掃除町、飯倉六丁目、飯倉片町、同六本木町、飯倉二丁目、三田南代地、三田北代地、溜池代地他以上二十所。このうち新下谷町、車坂町、三田南代地、同北代地、溜池代地は代地の故、神輿の渡御はなかった。このほか大名・旗本など八五軒が氏子であった。