八幡さまの信仰

我が国では太古より様々な神様を全国各地にお祀りしてきました。その中でもお稲荷さまと並んで各地に多くお祀りされているのが八幡さまです。
古くは「ひろはた」「やはた」「やわた」とも呼ばれおり、大分県宇佐市の宇佐神宮(宇佐八幡・宇佐八幡宮)が全国の八幡さまの総本宮です。そこに伝わる「八幡宇佐宮御託宣集(はちまんうさぐうごたくせんしゅう)」は、八幡さまは第15代応神天皇(誉田別命)を神様としてお祀りする際のお名前で、欽明天皇32年(571)に三歳の童子の姿で宇佐神宮の菱形池のほとりに竹の葉の上に立って現れ、「吾は誉田天皇(応神天皇)、広幡八幡麿なり」と御託宣を下されたと伝えています。
宇佐神宮では第一之御殿に「八幡大神(誉田別命=応神天皇)」、第二之御殿に「比売大神(三女神=多岐津姫命・市杵島姫命・多記理姫命)」、第三之御殿に「神功皇后(息長帯姫命)」をお祀りしていますが、全国の八幡さまでは、当社のように応神天皇の父にあたる「仲哀天皇(帯中日子命)」がお祀りされている場合もあります。
八幡さまは多くの御託宣を下されています。中でも有名なのは、東大寺大仏建立の際に下された「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」という御託宣です。これにより聖武天皇は天平勝宝元年(749)盧舎那仏像の鋳造を無事終えました。これを機に皇室は伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟として宇佐神宮を崇敬し、奈良の都の守護として手向山に御分霊をお祀りしました。
また、延暦13年(794)、都は平安京(京都)に遷され、その後、清和天皇即位の貞観元年(859)、南都大安寺の僧行教が宇佐神宮に参詣した際「われ都近く男山の峰に移座し国家を鎮護せん」との御託宣を受け、その翌年、清和天皇の命により石清水八幡宮が創建されました。
石清水八幡宮は都の守護神、国家鎮守の神として朝廷はもとより多くの崇敬を集め、特に清和天皇の嫡流である源氏は当社を勧請したといわれる源頼信の時代から八幡さまを氏神として厚く崇めました。その後、武家社会の発展とともに、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ全国各地に八幡さまが勧請され、源氏の流れを汲む足利、徳川の両将軍家も厚く信仰しました。
また、大仏建立の際、御託宣を下されたように仏教擁護の神であり、八幡大菩薩とも称され、古くから仏教の守護神としての崇敬も集めました。
八幡さまは、多くの武将から崇敬されたことからもわかるように、勝負運の御神徳はよく知られていますが、敵を退けることから、災厄をも退けるとされ厄除けの神さまとしても知られています。また安産や子育ての神さまとして広く崇敬されています。